DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

オーストラリア永住者の現地情報(生活・サーフィン・アウトドア)や海外旅行記など

Road to オーストラリア永住権⑲

学校も終わり働きながら書類の作成など永住権申請準備に明け暮れていた。

 

準備すべき書類は思いのほか多く、手間の掛るものが多々あった。学校関係はケアンズだけでなくパースの物も必要で、それをパースのTAFEから取り寄せるだけでも時間が掛かった。

また過去に住んでいたオーストラリアの全ての住所や他の様々な個人ヒストリーの作成や、日本の戸籍などの翻訳、現在・過去の職場での細かい役割など書類のリストが多岐に渡っていたので思ったより手間が掛った。

それでもあの時クアラルンプールの安宿でオーストラリア永住を決断し、実際にオーストラリアに住んでからの10年間の紆余曲折の集大成だと思い、毎日休まず計数百ページに渡る書類をようやくTAFEが終わった3か月後に全て揃え、例のエージェントを通して無事移民局に提出し、これで永住権の申請が済み、後は審査をひたすら待つのみとなった。

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戦いの合間に無人島へクルーズ。亀なんかもシュノーケルで見られる

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待っている間は色々と、もし審査に通らなかったらどうしよう、などと不安がよぎる時もたまにあったが、基本的にはあまり心配せずに今か今かと毎日ピザを焼きパスタを調理しながら待っていた。

その当時RSMSの審査は申請してからだいたい早くて半年、遅くて一年という期間を言われていた。なのでその審査がいつ始まるか分からなかったので、考えてもしょうがないと思い9月に休みを取ってメルボルンに旅行したりしてリフレッシュした。

通常は審査が始まる前に移民局からケースオフィサー(審査担当者)が決まったのでこれから審査に入ります”という旨の連絡が来て、だいたいそこから2週間程で書類の不備がなければビザ取得という流れになる。

チラホラと同じ時期に申請した人達のケースオフィサーが決まっていく中、10月に入っても俺のところには連絡がなかった。少しイライラし始めてどうなっているのか状況をエージェントに確認したりしたが、とにかく待つしかないので気長に待つか~なんて思っていた矢先、その日は突然やってきた。

 

忘れもしない2010年10月21日、いつものイタリアンレストランで午後の仕込みをしていたところポケットの携帯電話が鳴りだした。

仕込み中だったが、これはもしやケースオフィサーが決まったのか!と思い電話に出ると、例のエージェントの女性スタッフからだった。そのスタッフから心の準備が出来ぬままあっさりと、

”Your visa has been granted!(あなたのビザが下りました。)

 

と伝えられた。

一瞬!?と思ったが、どうやらケースオフィサーが決定した旨の連絡を飛ばして、一発目でビザが下りた連絡が来たらしい。!!!!!

おお~っ、何というか突然でどういう感情を持っていったら良いのか分からなかったが、少し興奮気味に2人の若きボス達にその場で報告し握手を交わした。そして取り合えず仕込みに舞い戻ったのだが、自分でも長い10年の戦いがあっさりと終わりを迎えたのでどういう感情の持っていき方をしたら良いか分からず、ちょっと前の日まで少し楽しく仕込みが出来たのを感じたくらいだった。

 

翌日、永住権が取れるまでのこれまでの戦いを振り返ろうと思い、時間が空いた時に海沿いに行き思いに浸ろうと無理やり雰囲気作りをしたが、あまり実感は湧いてこなかっ

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ケアンズの沖合いに浮かぶ砂州の島、ミコマスケイ。楽園だ

 

永住権が取れるまでの過程で、【もし取れた時はどんだけ興奮して狂ってしまうんじゃないか、どんな風に喜びを爆発させてやろうか!】などとひたすら想像していたが、以外にも自分は冷静だった。実際は実感とかって中々急には湧いてこないのかもしれないし、これからゆっくりと味わって行けば良い。そう、結局ここからが自分の人生で大事なのだ。

 

ただそれでも10年色々とあって、それをあきらめずに乗り越えて一つの大きな目標を達成した自分は少し褒めても良いかな、と思ったのであった。

 

以上永住権までの道のり、”Road to 永住権”シリーズはこれまで

 

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