Road to オーストラリア永住権⑱
そう、当たり前だがこの”RSMSビザ”を申請するには、まず職場がスポンサーをするという合意が無ければなにも始まらない。
そのイタリアンレストランは一応パートナーシップという形のビジネスで、フロアのボスとキッチンのヘッドシェフのシェアでやっているのだが、2人共20代半ばの若いオーストラリア人だった。
2人共父親がイタリア系の人間で、実質そこの土地はフロア側のボスの、ケアンズで他にもビジネス展開している父親の物だった。なので俺の直属のボスであるヘッドシェフは実際は何も書類仕事とかが分かっていないボーっとした人間だった。そして俺が依頼する、同じくイタリア系の移民エージェントと相談して、彼らを説得する為の話の持っていき方の作戦を立てた。
そしてその二人のボスをまずそのエージェントの事務所に連れて行き、俺達のフィールドに話を持ち込んだ。
何故ならエージェントと相談の結果、法律の事とかも絡んで来るので俺が話すより、専門家が話した方がいいだろうという事になった。その俺のエージェントは百戦錬磨の狸じじいで、おまけにそのオフィスは在ケアンズイタリア総領事館も兼ねていたので対面的な信用度は高かった。
そして2人のボスは最初ビザの事も良くわからず、ビザスポンサーについて不審げで積極的な感じではなかったのだが、そのエージェントオフィスに連れて行ったとき、まずイタリア総領事館の看板に呑まれ、狸おやじの前にたつと最初は不安げだったが、さすがは百戦錬磨のおやじ。
おやじは、スポンサーがいかに会社に取って利益になるか、また金銭的な負担やリスクがレストラン側に全くない事などポイントを分かりやすく説明した。
そしてこのミーティングの最後には魔法にかかったように2人の若きボスは、狸おやじに促されるままにその場で用意された書類にサインをしていたのだった。。
さすがのテクニックを目の当たりにし、多少悪い評判もあり金にならない総領事の仕事などほったらかしの、このおやじが頼もしく見えた。
とにかくこれでパズルのピースが揃ったので、後は制限時間内に完成させるだけになった。
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それからビザを申請するまではとにかく忙しく休まる暇はなかった。
学校も最後のタームだったので一気にレポートやテスト、グループプレゼンなどが同時にやって来て、仕事も忙しい時期だったので、その合間に各書類を作成したり英語のテスト(IELTS)を受けたりしていた。
そして学校もレポート等をラッシュで終わらせると、ようやく濃かった2年間のコースが終わった。今回は約10年前のパースのTAFEの時と違って留学生も多くクラスメイト=友人達という関係だったし、ケアンズのTAFEはささやかながら卒業の儀式もやってくれたので、一つの達成感を感じる事は出来た。
後はこれで働きながら書類の作成をしてビザを申請するのみである。