DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

オーストラリア永住者の現地情報(生活・サーフィン・アウトドア)や海外旅行記など

Road to オーストラリア永住権⑯

学校のコースは2年目に突入した。

2年目はホスピタリティーというコースで、テルマネージメントレストラン・カフェ関係を中心にサービス業を学ぶ感じである。

何故シェフコースの後がこれかというと、当時オーストラリア政府がこのふたつのコースを関連付けてパッケージとして扱っており、この2年間のパッケージを終えて他の語力・実地経験の時間数・年齢点などの基準もクリアすれば一応永住権の申請が出来たのである。

その為そのパッケージには永住権を狙う留学生が群がっていたのだが、2年目もクラス編成は変わってはいるものの、勿論知った顔が多かった。そんな中我がクラスにはホスピタリティーコースから合流したローカル組も入ってきて、ちょっと新鮮な刺激になった。

何故ならシェフコースの留学生組といるといつも決まって最後はビザの話になり、情報交換をしてるかのようで、お互いの状況を探り合い嫉妬したり、またビザの法律的な条件の厳しさなど、今そこで話しててもしょうがない事を延々と愚痴ったりしてて正直辟易してストレスになる事も多かった。

一方新しいローカル生徒達は年齢もバラバラで、中にはアイランダーと呼ばれるパプアニューギニアにほど近い島々から来てる原住民の若い子達もいたりした。

コースの最初の方は内容もバーでカクテルを作ったり、カフェでコーヒーなどのサーブをトレーニングしたりとシンプルな実技が多く、そのローカルの能天気な子達と一緒にキャッキャ言いながらやっているとつかの間の休息というか面倒臭いビザの事なども忘れてリフレッシュ出来た。

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学校の仲間とBBQでほんのつかの間の休息。

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いい年してここケアンズで学生に舞い戻る選択をしたのだけれども、ゴールドコーストで日本人中心の社会で働いていた時は全然違う環境で色んな人種・年齢と絡む事が出来たのでそれはそれでいい経験になって、良いチャンスだから出来る限りいつも同じ人達といるのではなく、色々な人達と絡んだり話したりしてゴールドコーストで凝り固まっていた頭や視野をほぐし柔らかくしていった。

またケアンズに来て色んな人がいるなぁと実感したのは何も人種の事だけではない。

ここに来て世の中にこれだけLGBTと呼ばれる人達が多い事に気づいた。特にホスピタティーの業界で働く中にゲイの人が多かった。バー・レストラン・ホテルなどで働いているケースが多く、ひとつのセクションに必ず一人はいる感じだった。

その人達の人種も様々で、色んな国からやって来ていた。

やはり基本オーストラリアLGBTの人達に対する考え方が自分達の出身地よりオープンで住みやすいと思って来ている人が多いのかな、と思ったりもした。ただそんな中でも受け取る側はその出身地によってはかなり偏見の強い人達もいた。

中でも韓国では日本よりもその辺がまだ閉鎖的らしく、韓国人の男達はかなりゲイの人達に強い拒絶反応を見せていた。また学校で一緒の、敬虔なクリスチャンの家庭に育ったパプアニューギニアの若い男の子は、そもそも同性愛とかそういう概念が全くないらしい。彼は同じ学校のアジア系のゲイの子に対してまるで地球外生命体を見るような感じで、決して半径1m以内には近づこうとしなかった。。

このケアンズに住んでみて、サーフィンが出来なかったり町は退屈だったり、達の悪い原住民がそこら中にいるけども、環境を変えて今まで接してこなかった人達と交流出来た。そしてそこから色々学ぶんだり視野が開けたりする事が多いと感じた事は良かったのかな。

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学校の仲間とクラブへ。この中にも性別は🚹でも中身は🚺の友人が。

そんな中働く環境も変わった。

この2009年はGFC・いわゆるリーマンショックがあり、ケアンズの経済もがた落ちしてたので、ホテルの方でさらなる経費削減が進み俺のシフトの時間も減っていった。

そこで何とか見つけたのが海沿いにある割と新しめのイタリアンレストランだった。そこで与えられたのはピザのセクションだった。最初入った時はイタリア人のワーキングホリデーの男の子がいたのでそのサポート的な役割だったが、そのイタリア人が旅立つと自分がそのセクションをまかされることになった。

そこは半オープンのキッチンで、客が奥のトイレに行く際には調理してる様子が見れてしまう所だった。そして嘘つきのイタリア人ホールスタッフに、

”熟練のイタリア人ピザ職人がピザを作っている”

と聞かされた客がキッチン脇を通る時にピザを焼いている俺を見て一瞬目が開き、二度見していくのでやめて欲しかった。。

そこではただひたすらピザ生地をこね、薄くして焼ける状態にしてその上にソースチーズをのせ、注文が来たら具を乗せてひたすら焼くという延々に終わる事のない単純作業をしていた。

そこで働いていた人達も人種は様々で、キッチンオーストラリア人とニュージーランド人が主体だったが、ホールスタッフは数人を除いて殆どがカジュアルで働くワーキングホリデーか学生が多く、特にヨーロッパ系が多かった。

よく、

”どこの国の人が働いてどこの国の人間は働かない”

みたいな定説や議論があるが、結局は個人のレベルによるんだけれども、それでもある程度の国民性というか傾向は見える。

例えばドイツ系は割としっかりと合理的に働く、といった事をよく聞くが、確かに平均的には他の民族よりよく動くやつが多かったと思う。そして何より明確だったのは、そのレストランでは一番使えない奴らはイタリア人だった。

そこはイタリアンレストランだったのに。。

 

そんな風にして学校・課題・仕事・ビザ関連と忙しく毎日を過ごしていると、いよいよ学校生活も最後の佳境に入っていくのだが、一波乱があったのだ。

 

(自由テキスト)