Road to オーストラリア永住権⑭
ゴールドコーストでの仕事を辞め、ビジネスビザからまた学生ビザに切り替えケアンズでの新しい生活が始まった。
もうここでは好きなサーフィンも(地理の性質上)出来ないので、ケアンズにいる間はとにかく永住権を取る事に専念しようと決意を新たにした。またゴールドコーストでバランスをくずした自律神経障害の方も完全に良くはなっていないのでそちらもゆっくりと直していきたかった。
ケアンズという町は当時人口10万人余りの小さなリゾート地で、町の経済は観光業に頼って成り立っていた。ゴールドコーストよりもまだ少し物価などが安かったが、収入源も無くなりこれから授業料や他の経費などで何百万円が飛んで行くので、少しでも出費を抑えていきたかった。
まず大きく支出を削れるのが住居だったので、選んだ所が週90ドルの狭くて暗い部屋だった。おまけにそこは一軒家を無理やり区分して部屋を多くしたシェアハウスだったので、10人とか住んでいた。
まるで日本に出稼ぎに来てたひと昔前の途上国の人になった気分だった。思えばゴールドコーストでは一応会社でも中核の一人で、節約してたとはいえ住まいももう少しましな所だったが、何せその立場を捨て去り、この道を選んだのは他ならぬ俺である。
それでも30歳過ぎてこんな家畜小屋のような所に住む事を憂いていたが、そこの家には日本人で同じく永住権を目指していて、40歳手前から大学院に行き、永住権が確定するまでは家族を日本に残して頑張っている人がいたので勇気づけられた。
TAFE(国立のカレッジ)のコースが始まる前にオリエンテーションがあったのだが、俺の選んだコースは当時永住権取得への近道の一つだったため、色んな国の留学生がいた。それに合わせクッカリーコース(シェフコース)は留学生だけで編成されたクラスが出来、当然俺もそこに組み込まれた。
実際に学校へ行きコースの説明を受けると頭の中は切り替わり、新しくこれからやらなければならない事で頭の中はいっぱいになり、ゴールドコーストでの記憶は遠いものになっていった。
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