スマホも地図アプリも無くても冒険は出来た❕中国から中央アジア ~シルクロード横断ディープ旅~ 中国編⑪
<北京滞在③>~旅の疲れと寂しさのピークから学び、再生へ~
《Summer Palaceで思いにふける》
翌日はウズベキスタン大使館に朝から行った。おそらく金曜日には出来るだろうと申請した時に職員がほざいていたが、いってみると当たり前のようにまだ出来てないわよ~とぬかしやがる。バカ!!
これで月曜日までここを出れない事が決定。
あ~~ん、早く北京出たいよ~。
気を取り直しまだ訪れていない他の名所に行ってみる事にした。
Summer Palaceという昔の王族の保養地か何かだったらしい所に行く事にしたが、行ってみると相変わらずすごい人で日本人や中国人・欧米人の旗を持った団体で溢れている。その瞬間またテンションが下がった。。
しかし高台の寺院からの景色は素晴らしい。湖が見下ろせ、中国らしい歴史的な橋が浮島との間に掛かっており、ハロン湾の時と同じく、この北京のスモッグで霞がかった空気が逆に幻想的な空間を作り上げている。
下に降りてぐるっと反対側の浮島の方から逆に高台の寺院を眺めてもいい感じだ。遠方には湖の上に浮いている小さな寺が点在しており霞がかった空気によく合う様はまるで水墨画だ。ザ・中国という景色を堪能している感じはする。
雰囲気をマイペースで周りを気にせず楽しめば良いのだが、ここの所マイナス思考気味なので、ここでも寂しさを感じてしまい途中で観光に対する気持ちが萎えてしまう。これは本当にいかんな、早くこの北京を出てリフレッシュして、もっとアグレッシブに行かないと。。
それにしても何でこんなに一人旅がいないんだろう?
帰りに入口付近の川沿いにある茶水街に寄った。ここは当時お茶屋が並んでいたのだろうが、今では観光客相手の御土産屋や甘味屋などに変わっている。川沿いの狭いスペースに細い路地を引き、その路地沿いに店が並んでいて可愛らしい雰囲気だ。ここは中々好きな感じの場所だ。まー短期旅行でカップルで来たりしたらこういう所で甘い物食べてお土産選ぶのは楽しいのかな。
Summer Palaceを離れ、メトロで隣の駅に降りて円明園という遺跡に向かっていたつもりだったが、どこで道を間違えたのが大分歩いて観光地っぽい所に辿り着くとそこは見覚えのある入口の景色で、何とSummer Palaceに戻って来てしまった。。
あ~疲れた。
《円明園で寂しさが増す》
そしてその後ようやく円明園に辿り着く事が出来たが、ここは寂れた感じの遺跡公園で、人も少なく敷地だけはだだっ広く歩くのが大変そうだ、もう大分無駄に歩いたし。。
ここも世界遺産らしいが、俺はかの有名な故宮や今日のSummer Palaceより、こっちの方が断然いい。何せ人が少なくゆっくりと見れる。外人は殆どいないみたいで、訪問者はほぼ中国人のカップル。
遺跡は”廃墟“って感じで少しロマンを抱かせる、人も全然いない寂しい物だった。そのまま歩いて別の遺跡を探していると、途中何と迷路があるではないか!何組かカップルがきゃあきゃあいいながら迷路で迷っているのを尻目に俺は黙々と迷路を彷徨いながら15分程で意外と簡単にゴール出来た。でも結構何気に面白かった。こんなところに迷路があるなんて変だけどちょっとしたいい発見だった。
《そして再生へ》
ここまで来たらと園内の一番奥の西の端っこまで歩いて行く。
ここはもうかなり歩かなければ来れない距離なので、殆ど人がいない。中国らしいくねくねした赤い橋が所々に蓮池の上に伸びている風景がちょうど夕日の時間と重なってノスタルジックな景色をしばらく見つめこの旅を思っていた。
心地よい風に吹かれてボーっと夕日を見ていると、ここ数日落ち込んでいた事がどうでも良くなってきて、一人旅の今の貴重な時間を思いっきり楽しもうと思った。
何かみみっちい事で寂しくなったり、グループで旅してる人達を羨んだりしてもしょうがない。
自分はこれからもっとディープな場所でエキサイティングな旅をするんだからここでうじうじしててもしょうがないだろ!
と少し前向きになれた気がして、今まで落ち込んで閉じていた視界が少しずつまた開いて行くような感じがして来た。旅の細胞が再び眠りから覚醒して再生していく足音が聞こえてきた。
そうだ、俺の旅の本番はこれからなんだ!!
そして帰路に着き、いつもの定食屋で手打ちうどんや豆腐の味噌和えを食べながら日本語の本を読んでいると、店員の女の子が興味を示し、店を出る際に”サヨナラ“と言ってきて心が少しほっこりと和んだ。
始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎 (集英社新書)
旅の記1: 上海から西へ、陸路で目指すカサブランカ (インド・中国・香港・マカオ篇)
翌日は朝洗濯をしたりまた寝たりしていたら、いつの間にか午後2:30になっていた。
明日ビザを受け取ったらそのまま夕方に北京を出て西安に向かうので、最後に天安門をもう一度見ておこうと向かったが、どこで降りる改札を間違えたのか、裏手の方に出たらしく、そのままそっちの方を散策してみた。
ヨーロッパ調と中国風がミックスしたような通りで、どうも映画の撮影に使われたりする場所らしい。路地を入ると似顔絵ならぬ似顔人形を作る店があって、オーダーした人を見ながらわずか30分以内にそっくりの人形を作ってしまう。まさに職人技だ。
どうしてこういう技術をちゃんと活かさず他国のマネやパクリばかりするんだろう。。
更に歩いて行くと台湾街に出た。ここで何か変な巨大なぺこちゃんといったような着ぐるみを着た若い男の集団が着ぐるみをゆっさゆっさ揺らしてダンスをしだした。何をやってるんだかよく分からない事が路上でたくさんあるな、中国は。
そして結局面倒臭くなったので天安門には行かず宿に戻ってきた。
《余談・ドミトリーといびきと差し歯》
宿では同部屋の日本人・Tさんが次の目的地・キルギスタンに飛行機で向かうため出発するところだった。
最初同部屋の住人は中国人だけだったが、このTさんがある夜中に突然やって来た。彼は別の宿に泊まっていたのだが、そこでトラブルを起こしたのでそんな夜中に宿を移って来たらしい。
そのトラブルの原因というのが、彼の凄まじい程のいびき。俺も寝ぼけながらそのいびきを初めて聞いたときは、一瞬何か恐ろしい事が外で起きてるんじゃないかとびっくりした程のボリュームのいびきだった。
とにかく一晩中ゴォーゴォーと唸りはやまない。
そのいびきが招いた前の宿でのトラブルとは、
その騒音のせいで同部屋のフランス人ともめ、そいつにヘッドバッドを食らって前歯が欠けてしまったらしい。。
申し訳ないが笑わせてもらう。
本人はいたって複雑な表情で事の成り行きを語ってくれたが、何ともまぬけなトラブルだ。まー本人は無意識なので直しようがないと思う。
そして彼が来た翌日の夕方に、一人の同部屋の中国人から、"あのクレイジーないびきをどう思う?“と聞かれたので、うるさくて寝づらいけど本人はどうしようもないと思うから、それを本人に言った所でどうしようもないんじゃないか、と伝えた。
すると彼は一応”そうだね”と頷いてはいたのだが、よせばいいのにその中国人はTさんが帰って来た時に、
君のあのいびきはどうにかならないかな?
と直球をいきなり放りこんだ。
そして前回のトラブルの事もあり自分のいびきを異常に気にしていたTさんは、ひどく落ち込み、
”やっぱり皆迷惑なんだね、じゃあ俺は皆が寝つく夜中まで中庭でネットでもしてるよ”
と言い残し、いじけて部屋から出て行ってしまった。。
それを見た例の中国人は頭を抱えて、
”あ~、俺は何て残酷な事を言ってしまったんだ、彼を酷く傷つけてしまった~~!!”
と頭を抱えて後悔していたが、もう遅い。
だからやめておけと言ったのに。。
そんなTさんは俺の2歳上で、俺と似た感じで12年アメリカに住み、そちらに永住している。そしてこの旅で会った初の中央アジアを目指す旅人だった。陸路でずっとここから行く俺とは違って、まず北京から一気に飛行機でキルギスタンに彼は行くのだが、そこでロシア語の語学学校に行くらしいので、もしかするとまた中央アジアのどこかであうかもね、と言ってお別れをした。(実際に偶然あうのだが。。)
つくづく悪魔のいびきが彼に今後の旅で災いをもたらさぬ様願うばかりであった。。
歯を大事にして下さい。。。