Road to オーストラリア永住権③
気合いの英語学習が実を結び英語が基準点に達した❕後は滞在地を決定する⇒イセエビが理由でパースに決定❕❓
《劇的な英語力アップでTOEFLをクリア❕》
さてそんな風にしてがむしゃらに英語を勉強していたのだが、一旦走り出したらよく自分でもここまでやったなというくらい気合を入れてやったと思う。大人になるまであまり勉強しなかったせいか、或いは元の英語力が低かったせいか新品のスポンジのように吸収がやたら早かった。
ただ時には根を詰めすぎて、模擬テストとかが上手くいなかった時には自分を戒めるために脳震盪になりそうなくらい机にガンガン頭をぶつけてみたり、眠くなったらペンの先などで血が出るほど太ももを刺したりしたのは後で自分でも引いたけど。。
それくらい短期集中でやって成果が出たのか、4月から勉強を始め8月に受けたTOEFLの試験でカレッジのDiploma courseに直接行ける点数に達することが出来た。後で調べたらこの時のTOEFL換算では俺の点数は、当時の上智大学の英文科の生徒の平均を超えていたらしい。。
自分でもびっくり!
よくも底辺の虫けらのような英語力からテスト形式とはいえそこまで短期間でレベルアップすることが出来たとは。。何もやる事が無いので流れで目標もなく入った日本の大学を辞め、何も人生の方向性が見えない中急に思いついたオーストラリア永住だけど、初めの一歩は悪くなかったと思う。
とにかくここからは学校とのやり取りをして正式な入学許可証を取らなければならない。
今こんなオンラインの講座が当たり前だが、当時はこんなの無かった。。うらやましい。。
というか俺はオーストラリアのどこに行くんだ?
そういえばまだ行く街も決めていなかった。。
《留学先の街を決めた決定打は意外な理由から》
勉強したいことは何となく2つの専門分野が浮かんだけど、そのひとつの海洋工学は大学レベルでないとコースがないので予算的に却下。そこでもうひとつの選択肢、2年で終わらせることが出来てのちの仕事につながりそうなツーリズム(観光学)にしようと決めた。
ツーリズムならカレッジレベルから2年のDiplomaコースがどこの町でもありそうだし。
ただ場所を決める決定打がない。
ふと気晴らしに近所の本屋に行ったらたまたま世界数十か所に住んだ経験あるという人の本が出ていたので暇つぶしにそれを買ってみると、本の中にはオーストラリアの都市もシドニー・メルボルン・ブリスベン・ゴールドコースト・パースの記載があった。
それぞれの特徴住みやすさ・治安・物価など書いてあったのだが、パースだけ何故かそういうのとは別に、
”この地域ではダイビングをしながらイセエビやカニを取ることが法律で認められています”
的な事が記載されていたので、何だそれ!?と思いながらもビビっと自分の中に衝撃が走り、その情報が頭から離れられなくなっってしまった。
結局それが決定打になりパースに行く事に決めてしまった。
サーフィンしたいならゴールドコーストだろうと思うのだが、元々ひねくれている性格もありゴールドコーストには何かありきたりで世俗的な印象があり、住みたいという魅力をこれっぽちも感じなかった。
なのでサーフィンも出来るし自然も豊富そうな西オーストラリアの州都・パースで俺は新生活を始める事にしたのだ!!
とは言ってもここからが色々と大変だった。
《スーパーアナログ原始人は留学手続きを学校と直接郵送のやり取りで行った》
何せネットも使いこなせない原始人だったので、留学エージェントなんてものがある事も知らなかったし、またあっても使うという選択肢が頭の中には浮かばなかったと思うが。
とにかく入学手続きの手段はただ一つ、例の一冊の俺のバイブル”留学情報誌”に載ってる学校とひたすら郵送でやり取りするのみ。今では逆に手紙なんてロマンティックに思うかもしれないが、当時の俺にはそれしか手段がない。おまけにバイブルの留学情報誌にはパースの学校は2つしか載ってなかったと思う。そのうちのひとつのTAFEという各都市にある国立のカレッジにツーリズムのコースに行く事にしたので、そこからの流れは以下のような感じで時間が掛った。
- TAFEのインターナショナル部門にツーリズムコースを申し込みたい旨を伝える手紙を送付
- 3週間後の返信で、申し込みに必要な書類のリストがTAFEから送られて来た
- リストにあった書類集めに通っていた高校や他の関係各所を周る
- 必要書類をTAFE宛に再び送る
- 返信が来て仮入学許可と入学金・及び授業料振り込みの依頼を受け取る
- 国際送金で入学金・授業料を振り込み、レシートをTAFEに送付
- 正式な入学許可証と共に今後のスケジュールが送られてきた
以上が実際にTAFEとやり取りをした内容で、実質2か月以上の期間が掛った。それから更に入学許可書を持って学生ビザの申請を行く前にやらなければならない。
ビザ取得には色々やる事があった。
大使館に行って手続きしたり指定の病院の身体検査を受けたり、その途中アンナミラーズに寄ってもうこの制服見れないのかと感傷に浸ったり(実際殆どいったことなかったけど、当時アンナミラーズは男の憧れ的なファストフード店だった)してオーストラリア行きの実感を高めていた。
そしてようやく麗し学生ビザの取得を済まし、これでDavePerthのパース留学がやっと決定したのだった。
思えばあのクアラルンプールの安宿でふとオーストラリア行きを思い立って貯金をして、一から英語をやり直し原始的な手続きを一つずつクリアして行き、ようやく辿り着いた初めの一歩。
実際はこれからがスタートなんだけど、一仕事した感が強かった。
出発まで引き続き英語の勉強は続けながらも、残り少ない日本生活を友達とカラオケ行ったり合コンに行ったりして思いっきり楽しんでしまった。。
そして今までさっぱり女性にモテなかったのに、留学直前に合コンなどでやたらモテたのはなんだったのだろう。。
幻か。。
(その時自分に告白してきた女性が渡豪後も手紙とかくれてたのだが、しばらくしたら俺の友達と付き合ってたのもなんだったのだろうか??)
そして次回からはいよいよパース編です。