DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

オーストラリア永住者の現地情報(生活・サーフィン・アウトドア)や海外旅行記など

Road to オーストラリア永住権⑰

いよいよ12月に終わる学校終了後のビザ申請について具体的な準備に入っていたころ、唐突なオーストラリア政府による”法律改正テロ”が起こった。

俺も含めた学校で一緒の多くの人達が、12月にこの2年間のコースが終わった段階で、”独立移住ビザ”というカテゴリーで永住権の申請か、実地経験の基準時間に達していない人は一旦グラデュエーションビザというのを経由して永住権の申請をする予定だった。

そして忘れもしない2009年9月21日付、オーストラリア移民局はそのまさに”独立移住ビザ”に関しての法改正を予告無しに発表したのだ。

その内容は、今後オーストラリア移民局は”独立移住ビザ”新規の申請に対しての審査を無期限に延長するという物だった。

誰かからそんな発表があったと知り、即座に移民局のホームページを見ると最新ニュースにそれがアップされていた。そして何度読み返してもその通りの内容だった。

要するに今から”独立移住ビザ”を申請してもいつその審査を再開するか未定だし、或いは状況次第では最悪永久にお蔵入りになるという事だ。

まさにその”独立移住ビザ”の申請をする為にゴールドコーストでのビジネスビザスポンサーをキャンセルしてこの田舎町に引っ越し、そして今更いい歳こいて一学生として一からやる事を選び皿洗いなどから始めてあと少しで申請、という所でここまで築き上げた梯子を突然外された絶望的な感覚に陥った。

 

正直ショックでパニックになった。法律などや移民法はいつ変わるや知れないといった事は勿論どこか頭の中では思ってはいたのだが、自分がまさに今これから申請!と行ったタイミングでこんな事が起きるなんて⁉

実際に起こってみると目の前の現実を受け入れられなかった。。。

この為に身を削って貯金をして、節約もしてどれだけの金と労力が掛ったと思ってるんだ!!!

呪いの言葉を一人で言い続けていた。

勿論他の留学生も皆同じようにショックだろうが、そんな中でも国に帰ればそれなりに裕福な親のサポートでやっている連中とは俺はそもそも気合い違う。

今回の永住権申請に文字通り命を懸けていたんだ。

 

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冷静に考えても自分の性格や何かを色々客観的にみて、絶対に日本では生きていけないタイプである。そんな事も自分で重々分かってるし、だから本当にもう帰る所はないのである。。

とにかく途方にくれながらも、他の同じ状況の友人達と連絡取ったりしてると少し落ち着いてきて、一旦気持ちがどん底まで行くと少しずつ気持ちが再生されてきた

とにもかくにも俺はこの永住権をあきらめることは出来ない。あきらめて日本に帰るという選択肢は自分の人生にはなく、あきらめることは自分の人生をあきらめることを意味していたので、とにかくまずは今の状況を周りの騒ぎに惑わされず、冷静に分析して他の選択肢やとにかく最善を尽くす方法を見つける事に集中しようとした

まず近日中にTAFE(学校)に移民局の人間が来てその件を含めた今後の永住ビザの動向の説明会を開くという事でそれに参加した。

説明会中、ただ移民局の人間はダラダラと既にホームページに書いてあった事を言ってるだけで、おまけに聴衆者の学生達の質問が全く的を得てないとんちんかんな物ばかりだった。俺が知るべき事はただひとつだったので、その移民局の人間に、

”結局現段階で、ある程度具体的にいつ頃独立移住ビザの審査を再開するのか、或いは永遠にされない可能性もあって全ては政府内でも不透明なのかどうか?”

という質問をストレートにぶつけた。

 

するとやはり移民局の人間はその質問を明らかに嫌がり困惑した表情を見せ、国会議員の答弁のように曖昧に逃げ出したので、俺は”この件に関して何もかも政府内でも不透明で、当然独立移住ビザ自体がこのまま無くなる可能性もあるな”、と判断し即座にその場を退出した。

そういう感じになる事も想定の範囲内だったし、この確認で元々のプランAをあきらめて、ここ数日で調べて別の可能性があると分かったプランBに切り替える事で腹は決まった。

たぶん他の学生達は今頃混乱しテロて、皆でこれからどうする?なんて相談し合ってるのだろうが、俺はそこで一緒になってワアワア騒いで非建設的に貴重な時間を無駄に費すつもりもないので、とにかく行動を開始した。

その足でそのまま既にコンサルティングを何回か受けている弁護士である移民エージェントのオフィスに向かった。そしてそのイタリア系のエージェントと相談してRSMS、いわゆる”地方雇用主スポンサービザ”というカテゴリーのビザで行く事に決定した。

このビザの特徴としては都市部では無く人材が不足している地方都市での移民を奨励していて、ケアンズもその条件を満たした町だった。

このRSMSビザの主な申請条件として、

  • 指定された地方都市で2年以上Diplomaレベル以上の学業を修了している
  • その資格に関連した仕事でフルタイムのポジションをビザ申請時に持っている事
  • スポンサーとなる職場が一定レベルのビジネス規模を持っていて健全な財政状態である事だった

そして学校が終わった後そのままフルタイムでイタリアンレストランで働けば、この条件を俺はクリアしていることになる。本来職場のスポンサーとか縛られた環境がいやだったので俺は引っ越してまで独立移住ビザを目指したのだが、こうなっては仕方ない。

もはやこれが最後の希望の砦だったので、誰よりも早く動いてビザを申請する事に頭を切り替えたのだった。

またそのイタリアンレストランは給料は安かったがオーストラリア人経営だったので、日本企業のような扱いを従業員に対してしてなかったし、あまり細かくも無いのでその点はビザを申請したから恩を感じて奉仕しろ!的な事もなさそうだった。

その時点から残り数か月で申請にこぎつけなければならず、学校の授業に課題・テストに加えてレストランでの仕事、ビザ申請への英語の試験や膨大な書類作成などやる事がとにかく山積みで息もつく暇も無かったが、まず基本的に最初にすべき最重要事項は、

そう、肝心の職場の説得はまだこれからだった。。

 

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