スマホも地図アプリも無くても冒険は出来た❕中国から中央アジア ~シルクロード横断ディープ旅~ キルギスタン編⑦
<カラコル~名も知らぬ村>~再びヒッチハイクの流れに身を任せ、名も知らぬ村でまたまた不思議な民泊体験~
《油断から危うく荷物が!》
翌朝起きてからお世話になったホテルの親方達に挨拶をして、9:00過ぎに近くでマルシュートカというローカルバスで乗合いバス乗り場まで行った。
乗り場に着いてお目当てのバクスーンという町行きのバスを探して人に聞いても、皆それぞれ違う事を言うので右往左往してしまった。これは途上国の田舎のバスターミナルでのお約束である。
それから何とかバクスーンという町までの乗合いバスを見つけ、10時出発だというのでまだ時間があるので荷物をトランクに入れて飯を食いに行った。食堂を見つけ俺はすぐにラグメンを頼んだが、またここでマタンのベジタリアンメニューを巡って1ハッスルが起き、思ったより時間が掛かってしまった。
バス乗り場に戻った時は5,6分程10時を過ぎてしまったいたが、さっきは俺達以外乗客いなかったし、途上国のこういった乗合いバスなど出発時間はあってないようなものだから、人数集まるまでまだ当分いるだろう、とタカをくくってバスの場所まで戻ってみたら、、、いない!?えっ、行っちゃった!!?
どこをどう見渡してもバスはいない。。。
近くにいた見知らぬおっさんは俺達の事をどうやらドライバーから言付かったみたいで、もう行ってしまったみたいなジェスチャーをしている。。荷物は!?見るとポツンとベンチの上に俺とマタンのバックパックが並べられていた。。
しかし予定通りに出発する訳が無いとタカをくくっていたが、まさか時間通りにしかも俺達の荷物があるのに出発してしまったとは驚いた!今まで途上国を旅してきてこんなことはなかったからだ。マタンもそうだろう。
ただその旅慣れてるという慢心が原因で危うく荷物を全て失う所だった。俺は貴重品など大事なものは基本バックパックには入れてないが、それでもなくなったら困る。これはもう一度引き締めなおさねば、むしろ荷物の事気遣ってくれてラッキーだったのかもしれない。。
そして次のバスが来たのでもう動かずに待っていたらこれまた言われた通り10:50分ぴったりに出発した。う~~ん、キルギスタンがよく分からない。。
バスに乗るとすぐに寝てしまい、気付くとバクスーンだった。ここはちょっと大きめの町でもうちょっと進んでみようという事になり、道端で親子連れの車をヒッチハイクした。
《名も知らぬ村で民家に泊まる》
そこからしばらく車を走らせたところの小さな分岐点で下され、指差した方に行くと民家が並ぶ小さな村が。ここは何という村だかよく分からないが、とにかく今までの経験でまず店に行ってみる。
どうやらここは通り一本に面したところに家などが集まっており、店もこの一軒しかなさそうだ。殆ど農業をやってるんだろう。店で飲み物などを買いながら、無いと思いながらもこの辺にホテルは無いか?と尋ねてみる。
ちなみにロシア語でホテルとか宿とかは“ガスティーシャ”という単語なのだが、“ティー”の所を舌を巻いて震わせながら言わないと全く通じない。ここ中央アジアではロシア語が割と通じるので、辞書を使いながらロシア語でコミュニケーションを図るのだが、これまでガスティーシャも他のロシア語単語でもこの“舌のバイブレーション“が中々出来ずに、相手に意志が伝わらず苦労してきた。
そして店のおばちゃんの答えは予想通りホテルは無いとの回答だが、店のおばさんと客のおばさんが何やら言葉を交わし、客のおばさんは去って行きまた別の客が来たりしてるうちに、この狭い村で外国人旅行者が宿を探しているとすぐに噂は広まったらしく、おばさんや客達とコミュニケーションをとりながら1時間も店にいると、一人の新たなおばさんがやって来た。
彼女はカタコトの英語を話し、俺達に家に泊まりなさいと申し出て来た。
いや、やはり人づてに俺達の噂を聞いて少し英語の出来る彼女はここにやってきたんだろう。これがキルギスタンの田舎パワーか。。
今回無料という訳ではなくお金を払うのだが、一人一泊約400円3食付で泊まることになった。いやはやまた何とも面白い展開になった。
店から歩いてすぐの赤い門の家に通され、荷物を置くとすぐにランチを頂いた。たくさんサラダ・パンなどを食べた。この調子で夕食も頂いたらちょっと安すぎるんじゃないか?料理も中々旨い!
するとマタンが寝てしまったので、一人で結構な距離を歩いて湖に行ってみた。
この村はタムチーとはイシクル湖を挟んで対面側にあり、俺達は大きなイシクル湖をぐるっと一周して首都のビシュケクに戻ろうとしている。なので常にこのイシクル湖は近くに存在している。
30分くらい歩いてようやく湖に着くと、学校のホリデーシーズンだからか家族連れが多く、子供達が馬に交じって水浴びしていた。しばらく湖畔でぼーっとしてまた歩いて帰ると途中の山の景色がこれまた綺麗だった。
そして迷いながら家に戻りしばらくまったりしているとディナーが用意された。
ヌードルを3杯ももらい、ウォッカ&ティーと散々飲み食いさせてもらって至れり尽くせりだ。
《激しい雷鳴ショーと非現実感に酔う》
夕食後庭で下の子供と(小学生くらいと18歳の男の子2人がいる)サッカーしたりして遊んでいると、山の向こうにすごい雷の光が見え、真っ暗な闇の中に閃光を放ち空が割れる。
本当に辺りは真っ暗で、そこに凄まじい雷鳴の爆音と鋭い閃光の迫力は少し恐怖を覚えるような不思議な感覚を覚える光景だった。子供は俺達もいるせいか大はしゃぎして怖がりながらも、怒涛の”雷鳴ショー”の中サッカーを続け家に入りたがらなかった。
この不思議な民泊をしながら、こんな遠い小さな村の目の前で起こっている経験した事ないような激しい雷鳴ショーを体験するなんて、今晩も現実味の無い時間を過ごしている。
そしてそれを、まるで自分が夢遊病者になってもう一人の自分がその映像を見てるかのような、奇妙な感覚の中で旅が流れて行っている。。
寝る前に家主のおばさんDinereと色々話をした。どうやら彼女は旦那と別れているらしく、また長女は今トルコで働いていていつかはその娘をオーストラリアに留学させたいいと思っている。
その際の保証人になって欲しい的な事を頼まれが、取りあえず具体的な事は何も決まってないのでEメールだけ教えておいた。
そして雷鳴ショーも終わりし~~んと静まりかえった村の民家で不思議な夜の中、眠りについて行った。。