スマホも地図アプリも無くても冒険は出来た❕中国から中央アジア ~シルクロード横断ディープ旅~ ウズベキスタン編③
<寝台列車~ブハラ>~列車を降りたら別世界が広がっていた!夢のイスラム世界に完全に陶酔仕切る~
翌朝目が覚めてもまだブハラまでは時間が掛かるらしく、窓の外を眺めていると砂漠が広がっていた。
そんな中でも遠方にオアシスのような湖らしきものも見え、こんな乾いただだっ広い砂漠にもどこかに水源でもあるのかと不思議に思った。
ブハラ駅に着くと何もない荒野にある駅といった感じで、広い空間が広がっている。
そんな中暑さをしのぐため長袖の白い服を着た男達や、カラフルな民族衣装を来た女達がホームに溢れており活気立っている。外に出るとタシュケントよりまた更に気温が増したようで暑さと荷物の重さで朦朧としてくる。
Tシャツは汗という汗を吸い切り雑巾みたいになっている。。
《イスラムの郷愁にタイムスリップ》
乗合いバスを捕まえ、外の景色を眺める余裕が無い程ギュウギュウかつ暑い車内でしばらく悶えていると、バスが止まりそこがブハラの町の中心地だった。
やっとこの息詰まりから解放される、伸びをしよう~!と外へ出て見て一瞬で自分の思考が飛んでしまった。。。。。!
車を降りた途端そこにはイスラムの古い街並みが広がっており、いきなりタイムスリップした昔の町にポンと置き去りにされた感じ。今まで自分が見て来たどの光景とも重なる事が無く、一瞬放心状態になりすぐに興奮が沸き上がってきた。
おおっーーーーーーーーーー!!
これはまさにいつか思い描いていた、イスラムのオールドシティのイメージそのままだ!!!
クリーム色の建物や石畳の道路や、その先には縦長で上部中央がキュッとなったいわゆるイスラム系の入口の奥に広がるアークと言う半オープンエアのマーケット。そして右前方にはこの街のシンボルとなっているラビハウスという昔の沐浴場となっている人口池とその向かいには派手な装飾を施したメドレセ(神学校)があり、そこを地元の人々が行き交いまさに中世の世界にタイムスリップしたような雰囲気。
これは中国・麗江の古城で一瞬にして落ちた感覚に似ているが、インパクトの強さは今回それをはるかに上回る。
今まで東南アジアやオセアニアの島国などでこんなに街の景観とかで興奮とかを感じた事はなかったが、今回の旅で自分でも自覚したのは、実は旧市街というかこういった古い街並みに異常に自分の感覚を刺激されるというか、早い話どうも俺は旧市街フェチだったらしい。
そしてピーター達が事前に当たりをつけていた、Suffran B&Bという宿を探して歩いていたら、向こうから来た流暢な英語を話す男にどこを探してるの?と聞かれ宿の名前を言ったら“それは自分の所だ”、と言うのでついて行くと白を基調とした気持ちの良い中庭がある小奇麗なゲストハウスだった。
ここに3人部屋のドミトリーがあるというのでそこを3人で借りる事に。ただ一人US$12朝食付きと思ったより高かったが、今日のこれから分の朝食をサービスしてくれるというのでここに決めた。
この宿の主アブドゥールの他に彼の父母が食事などを担当しており、アブドゥールはスイスコンビの一人ビクトールに声も話し方もそっくりなので、彼を思い出すと同時に何か親しみやすい。
スイスコンビの奴らも今頃はウズベキスタンに来てるはずである。会えるチャンスはあるかな?
ここでの朝食はお母さんが担当してるのだが、とても美味かった。既に早くもウズベキスタンの食事に苦戦を強いられていたので、ここはオアシスになりそうだ。量も多いしウズベキスタンに来て一番充実した食事だった。
《予想以上の圧倒的なイスラム感に酔いしれる》
しばらく宿で休んだあと付近の散策に出かけた。するとバッタリ何とあの北京のユースホステルで一緒になった歯抜けのTさんと会った。そういえば彼は北京から直接キルギスに飛んでそこから中央アジアを旅すると言っていたが、キルギスで語学学校に行っていたらしく、そこで時間を費やしたのでずっと陸路で旅していた俺と、こんな所でタイミングが合いバッタリ出くわす事となった。
更に泊まっている所も一緒の所だったが、彼はもうチェックアウトしてるらしく、午後にタシュケントに向けて出発してしまうらしい。そしてTさんも合流して更に歩を進めた。するとアークと呼ばれるトンネルの中のバザールや色々な大小のモスク、ミナレット(イスラムの塔)と次々に現れて強烈なイスラムの世界が広がっていた。
特に雲一つない青空の下に更により青いモスクのドーム状の屋根が美しく光り、屋根の下に伸びる白い壁やミナレットが映える。このコントラストはずっと見ていても飽きなくて、普段建築物とかに冷めている俺が何でこんなにも惹かれるのか不思議でしょうがなかった。
多分旅人には理由は分からないけど、感覚的に合い惹かれる場所や町というのが個々あるんだと思う、それが有名な名所か否かは別として。
過去に自分はタイの王宮やマレーシアのナショナルモスク、この旅でも北京の故宮など歴史的価値の高い物に全くピンと来なかったので、自分は建造物とかには一切惹かれないんだろうな、人間とか面白い出来事・ハプニングとかを求めて旅してるんだろうな、と勝手に思い込んでいた。
ところが今回の旅で、麗江といいこのブハラといい、自分にもビビッと来る場所があって良かった。
とにかくこの町をあてもなくただひたすら彷徨いたくなった。そして堰を切ったように写真を同じような角度からでも何枚も納得いくまで取り始めた。
そして昼食にラグメンを食べたのだが、いまいちだった。しかも季節の問題なのかメニューにあるものが全然無く、出せるものが4つくらいしかないみたい。
周りにあまりレストランとかも無く、メニューはどこへ行ってもシャシュリックという羊の串焼き、デカい円形のパン、ラグメン、プラス一番の場所でプロブがあるという感じだ。
なので早くも円形のパンに飽きた俺は、ウズベキスタンでほぼこれから毎日3食シャシュリックとラグメン2種類のメニューのみのローテーションでやって行かなきゃ無さそうだ。
カザフスタン・キルギスタンで人にお世話になったりして、思ったよりもずっと食に困らなかったのだが、ここウズベキスタンではこの時期特に食べ物の選択肢が少なくて苦労しそうだ。。。
そして一旦宿に戻りTさんとお別れをして、もう一人いたカナダ人の男と共に屋上で食べられるレストランにディナーに出かけた。
レストランに行く途中、傾く夕日に反射して建物がどんどんクリーム色からオレンジに色を変えていき、その辺を散歩する家族や走り回ってる現地の子供達と妙にマッチして幻想的な空間を作り出していた。
《人生最高の夕日の記録が塗り替わるーザ・アラビアンナイトの世界》
そしてその屋上レストランに着いたわけだが、周りにあまり高い建物が無いので旧市街が良く見渡せていい眺めだ。
しかし問題なのはこのもう一人加わったカナダ人の38歳のコーリーという男がうざくてしょうがない。こんなにもいい雰囲気の場所なのに、とにかく人の話を聞かずに誰も聞いてないのにしゃべりまくり、その話が全て自分本位の自慢話で死ぬほどつまらない。
久しぶりに面倒くさい奴に会ったな、という感じである。
とにかく自分の事ばかり話し、人の話を遮りまた自分のつまらない話を続けるというどうしようもない奴で、俺はもはや途中から全く相手にせず、ピーターがもっぱらその聞き役を担っていた。
ただそんなうざい奴はほっといて景色に目を移すと、ちょうど夕日が沈む時間帯でその方向にモスクとミナレットがちょうどあるのである。よって夕日はモスクとミナレットの裏に沈んでゆくような形になり、夕焼けがモスクとミナレットを赤く照らし“これぞアラビアンナイトの夕景!”といった非現実感溢れる光景が目の前にあった。
まるで映画のワンシーンのようだけれども、それでもどんな映画よりも現実のこの光景はすばらしく幻想的で、今まで一番と思っていたあのキルギスタンのイシクル湖での夕焼けを抜いてこの旅随一の夕景を目にしている。
これは本当に震える感動もので、自分が今まで見てきたどんな夕景とも似ていない圧倒的な夕景だった。いやー、本当遠くまで来てよかった、こんな別世界が見れるんだもの。
ただ相変わらずこんな美しい景色を背にしても、振り返りもせず自分の話に夢中で、もはやピーターが全く話を聞いておらず、夕景に目を奪われてる事も気付かずにいるこのカナダ人のバカは置いておいて。
《ハーレムの予感》
食事の方は90分待ってようやくラム肉のメインが出て来たが、量も少なくやはりここウズベキスタンではもはや食事に関して何も期待出来ないが、とにかく夕日が良かったのでおつりが来る程満足した夜だ。
そして宿に帰る途中ウズベク人の女の子2人組に声を掛けられた。
彼女達は日本語をエクスチェンジしているハヴィバとザリナという名の姉妹で、明日朝10:00に2人とラビハウスで待ち合わせる事にした。数日ぶりの女子との交流の予定が入り少しテンションが上がってしまった。
そのラビハウスに隣接したレストランでは生バンドが演奏しており、周辺のメドレセ(神学校)もライトアップされていて、まるで明日の俺のハーレムデートを応援してるかのようにとても綺麗だった。